【薬剤の準備ミス】都立広尾病院の医療事故【異常死のガイドライン】

KYT問題

電子カルテの入力中にナースコールが鳴りました。

『点滴が終わりました。』

自分の担当ではない患者さんの点滴が終わったのですが、担当の人は他の患者さんの対応中です。
そのため、準備して置いてあった次の点滴を持って代わりに部屋へ行きました。


さて、この場面で何のリスクが考えられるでしょうか?

目次

1999年の都立広尾病院の医療事故の概要

1999年2月11日に東京都立広尾病院で発生した医療事故。

2月11日
手術を終了した58歳の女性が抗生剤の点滴を受けた後、消毒液と血液凝固阻止剤を誤って取り違えて点滴され、その結果死亡しました。

女性は、「胸が苦しい。息苦しくなってきた。手もしびれてきた」という言葉を残しました。

2月12日
11日は祝日だったため翌日に病院側が遺族に対し、消毒薬を誤って注入した可能性が高いと伝えました。
2月14日
通夜前に遺族が患者の右手の静脈が異常であることを発見し、消毒薬が注入されたと察知したのです。

遺族が病院の責任者らに死亡原因を問いましたが、解剖結果などから誤薬注入が確定できないという回答が繰り返され、遺族は不信感を募らせます
2月22日
遺族が強く要求した結果、病院側はようやく事故を警察に報告しました。
3月16日
報道がされ、病院側が記者会見した際に「非公表は遺族の意向だった」と虚偽の説明をしたことなど、対応に誠意がなかったとされています。

「医師法」 第二十一条 医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異 状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出 なければならない

厚生労働省の第 8 回 医 療 事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会より

東京都立広尾病院事件で、当時の病院長や主治医等が、患者の死亡後24時間以内に所轄警察署へ届け出なかったことの責任が問われたのです。

事故には直接関わっていない院長が最も重い罰を受けたことが大きな話題になりました。


以前は、病院長たちは病院の名誉や部下を守るために、医療ミスを秘密にする傾向がありました
しかし、ミスを隠蔽しようとした病院長が最も重大な刑罰を受けたことから、状況が変わります。
その事故以降、病院長たちは医療事故の疑いがある場合は直ちに公にするとともに、関係者を警察に報告するようになりました

この事件で被害者の書いた亡くなった妻への手紙は、読んでいて胸が苦しくなりました。
この先も一緒に生きていくはずだった大切な人が目の前から突然、消えてしまう現実が突き付けられたのです。

その後、医療安全への訴えをずっと続けています。

また、望まない形で加害者になってしまった看護師達もすごく苦しんだはずです。

二人とも事故発生時は20代でした。
自分の不注意で目の前で患者さんが亡くなったうえに、裁判で有罪となったあとは責任を問われ病院はクビになりました。

都立広尾病院の医療事故の内容

最初に概要をセリフで説明しています。
セリフ下にリンクをつけでますので、クリックすれば詳細を飛ばして次の概要へ行けます。
画像の下に詳細を記事にしていますので、関心があれば確認してください。

参考文献:裁判例情報より

入院から手術終了までの経過

Aさんは関節リウマチと併発症の治療を受けていました。
左中指の痛み増加で都立広尾病院を受診。
手術を行い無事成功します
術後に抗生物質の点滴とヘパリンロックを実施しました。

薬剤の準備

【詳細】

Aさんは昭和50年に関節リウマチを発症し、平成6年から都外の病院で治療を受けていました。
その間、高血圧と甲状腺機能異常も発症します。

平成10年8月に都内に転居。
都内の別の病院でリウマチの内科的治療を受けていましたが、左中指の痛みと腫れが増えたため、平成11年1月8日に都立広尾病院の整形外科を受診しました。

診察の結果、左中指の滑膜切除術が必要と判断されます。
2月8日 広尾病院に入院しました
入院前の術前検査では、血液検査で炎症反応の上昇(CRP1.57)が見られましたが、他の血液一般、生化学、甲状腺機能、胸部レントゲン及び心電図では異常は認められませんでした

入院後、全身状態にも問題はなく、手術前日の2月9日までリマチル、ロキソニン、レニベース、チラジン及びリンデロンを内服しました。
医師からは「簡単な手術です。心配ありません。」と手術の説明があり承諾書に署名します。

2月10日
9時
全身麻酔と腋窩神経ブロックを併用して、左中指滑膜切除術を行いました。
術中は血圧の変動も少なく、手術は1時間24分で終了しました。
術後も血圧は安定しており、夕方には意識もはっきりしたため、リマチル、ロキソニン、レニベース、チラジン、プレドニン及びハイペンの内服を開始しました。

麻酔から覚めて「これで楽になる。」と口にします。

20時30分頃
右前腕の留置針、延長チューブ、三方活栓(留置セット)を介して、抗生剤(ビクシリン)の点滴を行いました。
点滴終了後はヘパリン生食を注入し、三方活栓で経路を閉鎖しました(この処置をヘパリンロックと呼びます)。

術後の経過は良好で入院期間10日くらいで退院できる予定。

薬剤の準備

看護師Bは、患者Aさんの抗生剤とヘパリン生食を準備します。
そして他の患者の創部処置用ヒビテングルコネートを同じように準備しました。
注射器にはマジックで記入とラベルをセロハンテープで貼ります。
抗生剤とヘパリンの入った注射器を持ってAさんのベッドへ移動し、点滴を始めました。

【詳細】

2月11日
8時25分頃
看護師Bは、患者Aさんの抗生剤治療のためのビクシリン1g(100mlの生食に溶解)を処置室の処置台に置きました。
その後、ヘパリン生食10mlの注射器を取り出し抗生剤の横に置きました
これらのヘパリン生食の注射器6本は、事前に準備し、それぞれに「ヘパ生」とラベル付けして保冷庫に保管していました。

次に、看護師Bは、別の患者さんのための創部処置を準備しました。
20%ヒビテングルコネート(プラスチック容器入り)を取り出し、10mlを同型の注射器に注ぎました
これを「洗浄用ヒビグル」とメモ用紙に書き、セロテープで注射器にラベル付けし、滅菌済みベースンの上に置きました
※看護師Bはその貼り付けた注射器に「ヘパ生」と書いてないことを確認しなかった

8時30分頃
看護師Bは、ビクシリンと点滴セット,アルコール綿のほか,注射器1本をAさんのベッドへ持って行きます。
点滴ボトルを架台に下げ、アルコール綿花と注射器は床頭台の上に置きました

注射器に「ヘパ生」と記入されていたかどうかは確認していません

Aさんは点滴開始前にトイレに行き、その間看護師Bは他の患者を見ていました。
8時35分頃
Xさんがトイレから戻りベッドに横になると、看護師Aは抗生剤の点滴を開始しました。
約10分後
看護師AはXさんの点滴状況を確認し、滴下速度が遅かったため、速度を少し上げました。
その後、他の患者のところへ行きました。この時間帯は、他の看護師もそれぞれの患者の世話をしていました

事故発生

別の看護師Cは9時頃、点滴終了のAさんからのコールに応じ、床頭台にあったヘパリン生食を注入します。
その後、点滴セットを取り外し使用済み器具を廃棄しました。

【詳細】

9時頃
別の看護師Cは患者Aさんから点滴が終わったとの連絡を受けました。
9時3分頃
Aさんのベッドへと向かいました。
Aさんと軽く話した後、看護師Cはヘパリン生食を注射すると説明し、床頭台にあった注射器からその内容物を注入しました。
※当初、看護師Cは「ヘパ生」とラベルのついた注射器を使用したと報告していましたが、後日その確信が揺らいだと述べています。

この時に推定される注入量は約10mlで、延長チューブの容量が約9mlだったため、体内に約1mlが入ったと推定されています。
注入後、看護師Cは点滴セットを外し、三方活栓をロックし、ガーゼで包んでネットで固定しました。
残り約9mlは点滴器具内に残留した状態です。
その時点でAさんの顔色や表情に異常は見られませんでした

その後、看護師Cは他の病室を訪れた後、処置室に戻り、使用済みの注射器と点滴セットを廃棄しました。

症状の出現

看護師Bは患者Aさんが不快感と胸部の熱さを訴え対応します。
「何だか気持ち悪くなってきた。胸が熱い気がする。」等と訴えたため、状況を当直医に報告し、他の看護師も救急処置を準備しました。

事故発生直後の対応

【詳細】

9時5分頃
看護師Bは患者Aさんのベッドへ戻ります。
この時、点滴が終了しヘパリンロックもすでに行われていたことを確認しました。
しかし、Aさんは「何だか気持ち悪くなってきた。胸が熱い気がする。」と言って苦痛を訴え胸をさする動作をしたのです。
初めの血圧測定では測定ができず、異なる血圧計で測定し130mmHgの最高血圧を確認しました。
このときはAさんの脈拍は正常で、顔色の変化もなく会話も可能でした。

9時15分頃
しかし、Aさんの症状に懸念を抱いた看護師Bは、当直医へ電話で状況を報告しました
その後、他の看護師3人もAさんのベッドへ駆けつけ、救急処置の準備を行いました。

※患者さんの急変時には1人では対応せずモノと人を集めるのが原則です。

患者Aさんの年齢や術前検査結果からして突然の容体変化は予想外でした。
そのため、ビクシリンによる副作用が疑われます。
しかし、前日のビクシリン投与時には特に問題がなかったとAさんは述べました。

※この事例とは関係ありませんが薬剤は初回投与時には症状なく、2回目にアナフィラキシーショックを起こす事例があるため1回目が大丈夫だったからとは限らないので注意してください。

事故発生直後の対応

Aさんが心肺停止になります。
主治医と家族に連絡しました。
そして、家族は冷たくなったAさんと対面することになります。

【詳細】

9時20分頃
当直医が来棟し、Aさんの名前を呼び、「気持ち悪い?胸が痛い?」と確認しました。
「胸が苦しい。息苦しくなってきた。手もしびれてきた。」と答え、顔色が段々蒼白となり、呼吸も弱く、意識レベルが下がり始めます
直ちに行われた心電図検査では、洞調律で電気軸は正常であり、V1はQS型、V1、V2でST上昇、V4、V5でST低下が認められました。
この所見によって、心筋が虚血状態にあることを疑います。
血圧は 198mmHg/78mmHg 。
そこで、ライン確保のため点滴による補液(ソルデム3A500ml)を開始した。
これが、点滴器具内に残留していた残りのヒビグル約9mlを全量がAさんの体内に注入することになります。
この時、他の看護師ら連絡を受けたこの日の管理師長も来棟しました。

9時25分頃
看護婦Bは、血圧計の調子が悪かったので、再度取り替えようとナースステーションに戻りました。
その途中で、「ビクシリンの副作用でないとすると、もしかしたらヘパリン生食を取り違えたのではないか。」と思い、自分がヘパリン生食の注射器を準備した処置室に立ち寄ったところ、滅菌済みのトレイの上に注射器が置いてあるのを見つけます。

それを手にとってみたところ、その注射器には自分で記載した「洗浄用ヒビグル」というメモが貼られており、かつメモが貼られていたのとは反対側にサインペンで「ヘパ生」と直接記載されていました

看護婦Aは、とっさに「内容と違うメモ用紙を貼ったままにしておいては、ヒビテングルコネートと思って誰かが使う可能性がある。」と思い、その場でメモ用紙を剥がし一般ゴミのゴミ箱に廃棄したのです。
このとき、注射器はボックスに廃棄しました。
病室に戻った看護婦Aは、病室内の当直医を手招きして呼び出し,出てきた当直医に、「ヘパリン生食と間違えてヒビテングルコネートを注入したかもしれません。」と伝えます

9時30分頃
Aさんの意識レベルが低下し、返答もなく、眼球が上転し、臨床的に心肺停止状態と考えられました。
直ちに、気管内挿管を行い人工呼吸と心臓マッサージを開始しながら、病室から処置室にベッドごと移動します。

9時33分頃
心電図モニターでは完全房室ブロックが認められ、しばらくして心拍停止になったのです。
日直医も加わって、アンビューバックによる人工呼吸及び心臓マッサージを行い、ボスミンを投与(心腔内注射及び静脈点滴)しました。

9時40分頃
当直医の指示で、別の看護婦がAさんの家族と主治医に電話をしました。
このとき、Aさんの家族は、すでに病院に向かって出かけた後だったのです。

10時頃
家族が病室に到着します。
10時5分頃
当直医から、家族への状況の急変状態の説明を行いました。
10時30分頃
主治医が病棟に到着します。
主治医は、当直医から容態が急変した前後の状況及び看護師が薬剤を間違えて注入したかもしれないと言っていることを聞かされたのです。

11時前
主治医より死因は心筋梗塞、大動脈乖離、クモ膜下出血が考えられると家族へ説明
妹 「点滴は大丈夫だったのですね?」
主治医「ビクシリンの点滴は昨日もして問題なかった。」
遺族へ医療ミスの可能性の説明は一切ありませんでした。


死亡時刻について、カルテには「10時44分に家族の立ち会いの下、死亡を確認した。」と書かれていました。
しかし、遺族側は「10時25分に当直医が死亡を確認し、その後に主治医が到着した。」と主張し、両者に食い違いがあります。

これは、遺族から病院への不信感が増す要因になりました。

ご遺族の主張
当初発行された死亡診断書では死因を『不詳の死』とされたが、後日主治医が作成した保険請求のための死亡診断書においては『病死』とされ、虚偽の記述がなされた。

引用元:広尾病院事故調査小委員会報告の要旨より

この状況とは関係ありませんが死亡確認時に、機器と病院内の時計の時刻と実際の時刻が合っていなかった場合などには不信感を与えるので普段から注意しましょう。

主治医から遺族に対して、死亡原因が不明である旨説明し、病理解剖の承諾を得ました。
主治医は、事故当日は祝日であったため、翌日9時から病理解剖を行う予定であることを遺族に伝えます。

同日午後

Aの死亡後、主治医は胸部レントゲン検査を実施。
『左気胸(ボスミン心注あるいは心マッサージによる肋骨骨折のためにおこした),心臓は右方に変位,前縦隔の拡大はなし』とカルテに結果を記載しました。
主治医は死亡原因が不明であるとして、親族に対して説明しその解明のために病理解剖の了承を得ます。

看護師は、死後の処置(エンゼルケア)を行います。
じつはこの時、蘇生措置から死後処置をしている間に複数の看護師がAさんの右腕血管部分に沿って血管が一見して紫色に浮き出ているという異常な状態であることに気付いていたのです。
Aさん死亡した日は祝日でした。
そのために明朝、対策会議を開くことが決定しました。

この時の事故直後の家族への対応病院への強い不信感への最初のきっかけになります。

事故の原因と対策

スイスチーズモデルの代表的な例になります。
どこかで誰かが気づいて、止めることができた可能性がある事故です。
しかし、結果として全部すり抜けてしまい、大きな悲劇を生み出すことになりました。

医療事故の原因

この事故は、いくつかの要因が組み合わさって発生しました。
ひとつの狭い処置台を使って、3人が同時に作業していたそうです。

  1. 同型の注射器の誤用
    ヘパリン用の注射器にヒビテングルコネート(消毒薬)を準備したことが、誤解や混乱を生む原因となりました。
  2. 複数の薬剤の同時処理
    ビクシリンとヘパリンを準備した後、同じ場所にヒビテングルコネートを置く行為が誤用の一因となりました。
  3. 不適切なメモ
    「洗浄用ヒビグル」のメモが注射器に貼られていたことが、混乱や誤解を招く可能性がありました。
  4. 注射器の準備者と実施者の不一致
    事故の一因として、注射器の準備者と注射の実施者が異なることが挙げられます。
  5. 注射器の不適切な保管
    薬剤を入れた注射器を患者の床頭台に放置したことが、衛生的な問題や誤用のリスクを引き起こしました。
  6. 注射器の確認不足
    床頭台に置いてあった注射器と持ち込んだ注射器の中身の確認が十分に行われていませんでした。
  7. ヒビテングルコネートの希釈作業
    病棟でヒビテングルコネートの希釈作業を行っていたことが、誤用の一因となりました。
  8. ヒビテングルコネートの誤注入
    救命処置の際、誤ってヒビテングルコネートが体内に注入されました。

上記の要素が組み合わさることで、事故へと繋がりました。
医療現場では、患者の安全を確保するために、全てのプロセスで細心の注意を払うことが求められます。

  • 同型の注射器の使用を避け薬品の管理を徹底し、注射器には薬剤名を明記する。
  • 注射器の準備と注射の実施は同一人物が行う。
  • 不要な物品を床頭台に放置しない、注射器の内容物の確認を徹底する。
  • 病棟での希釈作業を避ける。
  • 救命処置時にも注射器の内容物の確認を確実に行う。

などの改善策が必要だと考えられます。

※この事例では急変したときの病院の体制にも問題視する声があがっています。

  • 整形病棟だったため当直医の整形外科医が心疾患と思われる症状の救命をしていた?
  • 他の病棟のから専門医を呼ぶ手段がなかったのか?
  • その時の当直医(能力・経験不足)が早まった救命処置してしまった?
  • 祝日だったため人員の配置や上司への連絡が不十分だった?

事前に緊急時の連絡のマニュアルをしっかり作成し把握しておくことが大切です。

具体的な対策

以下が同様の事故の再発を防止するために行った対応策です。

広尾病院看護部が緊急にあげた対策

注射器を注射目的以外に使用する際の取決め

  • 消毒薬など外用薬を計量する場合、注射器を使わずメスシリンダーや計量カップ等を使用する。
  • 注射器をやむを得ず注射以外の目的で使用する場合、注射薬とそれ以外のものを識別するため新たに緑色の注射器を使用する

消毒薬の希釈作業に関する取決め

  • 皮膚や創部に用いる消毒薬の希釈作業は各病棟や外来で行わず、薬剤科が必要な濃度の消毒薬を供給する

複数患者の薬品の準備に対する取決め

  • 複数の患者の薬品を同時に準備するとき、準備が終わったものから順に一人分ずつ名前を書いたトレイに入れ、混同しないようにする
  • 注射薬とそれ以外の薬品等を準備するとき、ワゴンを利用するなどして同時に同じ作業台で準備をしないようにする。

注射器への記入方法と記入できない場合の取決め

  • 薬品名等は、直接注射器に油性のサインペンで記入する。
  • 記入が可能な注射器には使用する患者名等も直接記入し、記入できない場合は確実に患者別のトレイに入れる

処置の際に、薬品の確認を行う取決め

  • ヘパリン生食、消毒剤等についても一般の注射薬における「3回の確認」の原則に基づいて確認の徹底を図る。
  • 処置に必要なものはその都度トレイに入れて持っていくこととし、床頭台に置いたままにしない。
注射による事故防止対策

(1)注射薬の準備について

  • 注射薬の準備は、原則として、実施者が直前に行う
    事前に準備する場合でも、準備者と実施者が異なるときは薬の取り違えを避ける方法が重要。
  • 注射器に直接薬品名を記入する。
    点滴パックに患者名、薬品名、使用日時などを記入する。
  • 1患者1トレイのルールを徹底し、準備した注射薬に空きアンプルやバイアルをつけておく
  • 全病院で共通のルール作りが検討課題。

(2)注射薬を床頭台に置いておくことについて

  • 床頭台に点滴ボトルや注射器などの注射薬を置かない

(3)カラーシリンジの導入について

  • 緑色のシリンジを導入し、注射以外の目的に使用する場合は緑色のもの、注射に使用する場合は無色のものを使う。

(4)注射器の取扱要綱につい

  • 注射器の取扱要綱が病院で整備され、カラーシリンジの導入により、注射器の色別使用が明文化された。
  • その他の項目として、目的外の使用、内容物の識別方法、準備に関する取決め、注射の実施方法に関する取決めなどについても整備する病院があるが、全ての病院で統一はされていない。

あなたの病院での薬剤のルールはどうですか?
共通していることが多くあるのではないでしょうか?
なんで、こんな面倒なルールがあるのだろうか?という疑問には理由があるのです。
効率は相対的に事故を招きます。

まとめ

今回の医療事故は、看護師Bの不適切な業務手順での注射器の取り違えが発端となりました。
しかし、もし看護師Cが注射器の内容をきちんと確認していたら、事故は防げたとも考えられます。
2つのエラーが重なり、事故の直接的な要因となりました

ところが、事故に至るまでの過程を詳細に分析すると、多数の要因が関与していたことが明らかとなります。

  • ヒビテングルコネートの希釈が病棟で行われていた
  • 計量に注射用の同一規格の注射器が使用されていた
  • 同じ処置台で2人の患者の薬剤が同時に準備されていた
  • 薬品名を注射器に直接記入する代わりにメモ用紙を貼る行為が容認されていた
  • 注射器を床頭台に放置することが日常的に行われていた

責任は単に事故を起こした看護師だけにあるわけではないことが明らかです
この事故は多くの要因が関与し、それらが相互に関連して事故につながっています。
エラーやミスの連鎖を断ち切るためのシステムの構築の重要性を示しているのです。

事故直後の対応にも多くの問題がありました。
その結果、家族の喪失だけでなく、医療への不信感や恨み、怒りにも悩まされた遺族の苦しみは計り知れません。
医療側としては、この事故を深く反省し、改善のためにさらなる努力を続けるべきです。

人間はミスをする生き物であり、単一のミスが重大な医療事故につながらないようなシステムを構築することが極めて重要です。
医療事故を防ぐ最善の方法は、ミスから学ぶことです。

死亡した被害者は看護師資格があり、看護学校で教えていたこともありました。
この事件の1ヶ月前に横浜市立大学病院患者取り違え事故が発覚した際には「基本ができていないから、こんな事故が起きる」と言っていたのです。


…以下の記事は、事故後の経過になります。
気になる方は読んでみてください。

情報収集、注射器等の回収

2月11日
11時頃
当日の管理師長は、病棟担当の副課長及び病棟師長へ電話で報告を行いました。
報告を受けた副課長は、看護部長宅に報告し12時頃に病院へ行きます。
師長もほぼ同時刻に病院へ到着。
11時5分頃
課長は看護部長からの電話を受け、13時30分頃に病院へ行きます。
13時頃
副課長は、看護婦Bと看護婦Cから事情聴取しました。
14時頃
看護部長が電話で報告を受け、病棟のボックス、Aさんに使用した点滴セットを回収し保存することを指示しました。
15時頃
部長の指示を受けた副課長は、病棟師長に対して回収を命じます。
病棟師長、副課長、他看護師2名で、ボックス内から10ml 注射器26本及びAさんに使用した点滴セットを回収し保存した。

ちなみに院長は祝日で外出していたこともあり、19時過ぎにこの事故のことを知ります。

回収した注射器の内訳
  • ヘパ生と書かれており、内容物が残っていたもの 5本
  • ヘパ生と書かれており、内容物がなかったもの 12本
  • 何も書かれてないうえ、内容物がなかったもの  8本
  • ヒビグルと書かれていて、内容物がなかったもの 1本

ヘパ生と書かれており、内容物が残っていた5本のうち、内容量が約 10ml 残っていた注射器は1本。
それが看護師Bの捨てたとする注射器だと特定されました。
しかし看護師CがAさんに使用した後に捨てたとする注射器は特定できません。
ヒビグルと書かれていた注射器は、筆跡から前日に使用したものと特定されます。

ボックスの回収は週2回であり、事故当時のボックスには9日の午後から当日午前までのものが入っていた。

看護師Bが捨てたメモ用紙は、委託業者によって一般廃棄物の回収がなされた後であったため確認できませんでした。

休日の一般廃棄物回収は10時と13時の1日2回だった。

看護婦Bが、Aさんの血圧を測定しようとして測定できなかった血圧計は、いずれも故障はしていなかったそうです。 

その後の経緯

2月12日8時30分頃
事故調査委員会を開催しました。
出席者は9名(院長、副院長2名、事務局長、看護部長、医事課長、庶務課長、看護課長、看護副課長)で、看護師Bから説明を受けた後、主治医が呼ばれます。 
看護婦Bは自身がヒビグルとヘパ生を間違えたかもしれないと涙声で説明しました。
警察に事故を報告するべきだという意見が多数出たため、9時頃東京都衛生局病院事業部にその旨を伝えました。
9時40分頃
事故調査委員会は、前日に回収した注射器の内容物検査を検査科に指示します。
しかし、内容物がほとんど残っていない場合は検査できないと返答がありました。
そのため内容物に残量のあった注射器5本のみを検査対象とし、それ以外のものはそのまま保存します。
11時5分頃
病院事業部から担当職員が到着。

この時点で前日10時44分の死亡確認から24時間が経過してしまいます。

病院事業部は「前日に病理解剖について遺族の承諾が取れているので、薬の取り違えの可能性も伝えた上で、警察に届け出るかどうかは遺族に判断してもらい遺族の了解が取れれば、病院で病理解剖をして原因を究明すればよいのではないか。」とのことであった。
11時10分頃
検査科より「ヒビテンに一致した反応を示す残存物はなかった。」と5本の注射器の内容物検査の結果が報告。
11時50分頃
院長から遺族に対し「心電図所見からは急性心筋梗塞の可能性もあるが、その後の調査により、ヘパリン生食とヒビテングルコネートの取り違えの可能性もある。死亡原因を究明するため、病理解剖が必要である。広尾病院が信頼できなければ警察に連絡し、監察医務院等で解剖を行う方法もある。」と説明。
遺族から「広尾病院できちんと調べてほしい。」との回答を得ます。

ここでAさんの解剖が始まります。

14時
病理解剖を開始。
病理医は遺体の右腕の状況を見て、警察による検案を提案。
電話が直接外線につながらないため技師長が内線で、対策会議中の院長室に電話をかけました。
電話に出た医事課長に警察に届け出た方がいいと言っていることを伝えます。

医事課長は、院長に今までの方針でよいか確認すると院長は「それでやってください」と答えます。
技師長は許可が出たから始めるようにと病理医に言い、病理医は監察医務院に問い合わせたと誤解し解剖を始めました。

解剖所見は「右前腕皮静脈内に、おそらく点滴と関係した何らかの原因で生じた急性赤色凝固血栓が両肺に急性肺血栓塞栓症を起こし、呼吸不全から心不全に至ったと考えたい」とされました。

そして解剖終了後、院長に心筋梗塞等の病死を思わせる所見がなかったこと、血管が浮き上がっており、血液がさらさらしており90%以上の確率で事故死であると思うと報告します。

夕方、死亡診断書を作成し死亡の種類を「不詳の死」とし、院長に見せた後に交付しました。

17時頃
院長から遺族に対し、薬剤を取り違えた可能性が高いが、確信させる証拠はない。必ず死因を究明するのでしばらく時間を与えてほしいことを説明しました。
遺族から「本来は病院の判断で警察に通報すべき事件ではないのか。」との発言があった。

2月20日
院長、副院長、主治医、看護部長、事務局長及び医事課長が遺族宅を訪問。
原因は薬の取り違えによる薬物ショックの可能性が一層強まった。中間報告します。
遺族は警察への届け出を強く求めた
このときに溜まっていた強い不満を口にします。
死亡診断書の時刻が違うこと当日の亡くなったAさんへの看護師の対応などでした。
「今回の事故を公表して、全国の病院での再発防止に役立てるべきである。」という発言までありました。

2月22日
東京都衛生局長らと面談し警察に相談する形で届け出るようにと指示を受けて、渋谷警察署に連絡をしました。

事故発生後の家族の不信感

一番最初に配慮のない対応されたことが、そのあとに病院への不信感を生み、何年経っても消えない記憶を植え付けました。

遺体及び遺族への配慮のない対応

家族は事故発生直後、10時ころ 病室に到着しました。
何が起こっているのかわからないまま、カンファレンスルームへ案内されます。
20分ほど待たされました。
10時20分に妹と二人、処置室へ案内されます。
その時に家族の眼に入った光景は…

  • 案内されたときは2人の医師、2人の看護師 ただ呆然と立っていた
  • 浴衣の裾などの乱れ、足がドテッと広がる、Aさんの無残な姿があった
  • 見るに堪えかねて、遺族が身なりを整えた
  • 人間の尊厳無視、家族への配慮なしで単に恰好のみと感じてしまう蘇生をしていた
  • すぐに霊安室に運ばれ、勝手に私物をまとめ運ばれた

心肺停止および脳死状態になったAさんに対する治療後の手順遺族と遺体への配慮、さらには患者の私有物の管理方法について不適切な対応があったと指摘していました。

では、被害者の夫目線で状況を見てみましょう。

【詳細】
簡単な手術で心配ないと主治医から説明を受けていました。
そして手術は無事成功します。
翌日、面会のために10 時ぐらいに病院に行きました。

ところが病室へ行くと、妻のベッドの場所がメチャクチャになっていました。
看護師さんが病室の前で待っていて、別の場所へ案内されます。
その時に「点滴の後で急変した」と説明うけました。
妻の様態が不安で仕方なかったのですがカンファレンスルームで待たされます

この時、時間にして20分ぐらいでしたが1時間以上待たされたという感じがしたそうです


隣接する処置室にようやく入ったときには、当直医、応援医と看護師2人は疲れ切った様子で呆然と立っていたのです。
その時に遠目からみた妻の姿は本当に惨めな無残な姿に見えました
妻の妹も一緒に部屋に入りました。
「そんな無駄なことはやめてください」と伝えると、当直医は「よろしいですね?」と確認後に挿管を抜去し「10時25分です」と、6人で死亡確認しました。

被害者の妹は看護師をしていたので、入ったときに姉が亡くなっているというのが分かったそうです。

死亡確認後、妻は水死したかのごとく顔や手が異常に膨れ上がっていました
そして、頬と手をさわると氷のように冷たかったです。
今亡くなったはずなのに何でこんなになっているのだろうと、涙が止まりませんでした。
見るに堪えなかったため妻の乱れた衣服を整えました
遺体はすぐに霊安室へと移されます
私有物は看護師によってまとめられ、一緒に霊安室へと運ばれました。

11時少し前に当日初めて話をします。

主治医がカンファレンスルームへ来て、死因は心筋梗塞、大動脈解離、 くも膜下出血が考えられるという話をしました。
そんな基礎疾患はなく、誤薬の可能性も確認しましたが、この日は誤薬の可能性についての説明はありませんでした。
本日は祝日のため明日の9時~11時で病理解剖をするとのことで、原因をしりたかったので了承します。

進まない原因究明と認めない事故

2月12日
10 時ごろ
病院に着きましたが、解剖は始まっていませんでした。
院長と11時頃と、12時にそれぞれ面談をします。
ここで初めて誤薬の可能性を伝えられました
この時は病院を信じていたので広尾病院で解剖をすることが決まりました。
17時
院長より
心疾患の疑いはなく、誤薬の疑いが高まった。しかし、血液から消毒薬は検出されなかった。」
と、解剖の結果を伝えられました。
故人への誠意として中立的な外部機関でぜひ真相を究明してほしいとお願いしました。

医療事故の遺族は、真実が知りたいという気持ちが強くなります。
医療機関は、病院の評判やスタッフを守りたい気持ちがあります。

2月14日
11時頃

大阪の自宅で通夜に先立って湯灌の儀をした時に、初めて右腕がひどく炎症を起こしていることを知りました
いままで数日隣にいたのに気付かなかった事から、ガーゼか包帯か何かで隠されていたのかと疑ってしまいます。
2月17日
中間報告を要請します。
2月20日
中間報告会議。
院長「断定できない
副院長「点滴の跡で炎症を起すこすこともある
血液検査も不明確で誤薬投与によることを認めず、警察への届出もしていません。
うやむやにされると感じました。
警察に届けないなら、私が届け出ると強く迫りました。

このあと、病院側は2月22日にようやく届出をしました。

死亡診断書に事実と違う記入

3月10日
保険金請求のため死亡診断書、死亡証明書の作成を病院に依頼しました。

診断書が生命保険のモノであったため主治医は悩みました。

死亡診断書に記載した不詳の死では保険金が支払われないかもしれないと考えます。
死因を不詳の死または外因死と記載するか病死と記載するか迷いました。
院長に相談します。
院長も判断に迷ったため、副院長2人と事務局長で協議したのです。
解剖の報告書に急性肺血栓塞栓症との記載があったので、死因は急性肺血栓塞栓症としました。

ちなみに、別に遺族が保険の書類であることを病院に言ったり、お願いしたわけではありません。

3月12日
死亡した直後の死亡診断書が「不詳の死」と記載されていたのに「急性肺血栓塞栓症」に変わってました。
死亡時刻も疑問でした。
当日は10時25分に当直医が死亡を宣告しました
病院側は10時30分頃に主治医が到着し、10時44分に家族の立ち会いの下で死亡を確認したとのことです。
こちらで認識している死亡確認の時間も立ち会ったスタッフの人数も一致しませんでした。

死因、死亡時刻に病院側が虚偽の記述をしていると思ったのです。

参考文献:広尾病院事故調査小委員会報告の要旨

事実と異なる記者会見

弁護士や医学教授との話し合いをしました。
誤薬投与の可能性はあるものの、証拠がなければ訴訟も困難だとのことでした。

血液が残されていたことにより、2つの大学で消毒薬を検出することができました。
ここで大きな転機が訪れます。

フジテレビが医療事故のスクープとして報道しました。

3月16日
病院は急遽記者会見を行いました。
隠すつもりはなかったと発言します。
警察への届出が遅れたことへの理由として

  • 遺族の意向だった
  • 遺族のご了解があった
  • プライバシーを配慮した

と、事実と異なる発言をしたのでした。

参考文献: 講演「医療事故被害者遺族の立場から医療者に望むこと」より

病院への不信感がさらに増強します。

石原都知事に嘆願書を出しました。
都知事は定例会見で「とんでもない」と病院と都職員の対応の悪さに怒りました。

遺族は家族を失った悲しみだけではなく、病院のの対応への怒りという二重の苦しみを背負わされたのです。

判決

点滴ミスをした看護師2人
業務上過失致死罪で禁錮1年執行猶予3年、看護業務停止2ヶ月
業務上過失致死罪で禁錮8ヶ月執行猶予3年、看護業務停止1ヶ月

主治医
異状死体届出義務違反の略式起訴で罰金2万円となり、医業停止3ヶ月

院長
医師法21条違反で懲役1年執行猶予3年と罰金2万円

東京都と元院長と主治医
損害賠償として、遺族に6030万円の支払い

加害者のその後

事故にかかわった看護師2人のその後です。

事故にかかわった2人の看護師は毎年2月11日のAさんの命日には必ず花を贈っているそうです。

被害者の夫は、この2人を辞めさせず経験を再発防止に役立ててほしいと嘆願書を出しました。
ところが、東京都は有罪が確定後に2人を辞めさしたのです。

病院のシステムにも問題があったはずなのに東京都は医療事故に対して「なぜ起きたのか」ではなく「誰が起こしたのか」で処分したことに憤りました。


被害者の夫は

この後2人がどうなるかすごく気がかりでした。
2人とも結婚し子どももできて穏やかに暮らしていることで自分には救いです。

と、後に語りました。


看護師2人は焼香に来てくれました。
そして事故の後から2人だけはずっと正直に本当のことを病院でも警察でも話していました。

病院は、当初事実を遺族には伝えませんでした。
その後も、事故であることをなかなか認めません。
解剖結果が出たあとも「事故の可能性は高いが病死の可能性もある」と述べていました。

医療事故で家族を失ったうえに、それを隠そう・ごまかそうとする病院側の態度によって二重に傷つけられたと夫は語っています。

参考文献:医療事故より学ぶ部屋より

自責の念に今も苦しめられています。
もし、手術日翌日が祭日でなかったらと…

実妹も看護師であったこと、実妹の夫は元都職員で広尾病院の事務に務めた経験があったこと、病院長が事故の起こった整形外科の出身であったことなど、特殊な要因もこの事故の背景にあったそうです。

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