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2021年5月、愛知県の医療施設で、36歳のダウン症候群の男性が便秘治療のために下剤を服用した翌日に亡くなりました。便秘という、決して致死的ではない症状で病院を訪れた患者が、わずか1日で命を失ったのです。
私がこの記事を書くのは、誰かを責めるためではありません。同じ悲劇を二度と起こさないために、私たち医療従事者が何を学び、どう変わるべきかを一緒に考えたいからです。
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この事故が特別な理由

医療事故には二種類あります。あらゆる手を尽くしても防げなかった事故と、どこかで止められたはずの事故です。
このケースは明らかに後者でした。調査報告書を読むと、少なくとも5つの「止めるチャンス」があったことがわかります。それぞれの場面で誰かが立ち止まり、「おかしい」と声を上げていれば、結果は変わっていたかもしれません。
しかし現実には、それぞれの「穴」が一直線に並んでしまいました。スイスチーズモデルで説明されるように、複数の防護層に開いた穴が重なったとき、事故は起きます。では、その穴とは何だったのか。時系列で追っていきましょう。
事故の経過:5つの「Stop Point」

Stop Point 1:外来での処方(2021年5月17日 午前)

36歳の男性患者が重度の便秘で外来を受診しました。ダウン症候群の成人には、筋緊張の低下から来る便秘が多く見られます。この患者も長年、便秘に苦しんでいました。
担当医は当初、入院しての摘便や管理を提案しました。しかし患者本人が入院に同意しなかったこと、そして家族の希望もあり、在宅での薬物療法を選択することになりました。ここまでは、よくある診療の流れです。
問題は、その後に処方された薬の量でした。
処方内容:
- ピコスルファートナトリウム内用液:1瓶(約150滴)を一度に全量服用
- 通常用量は10〜15滴 → 約10〜15倍
- モビコール:26包
- 通常は1日2〜4包、最大でも6包程度 → 明らかな過量
ピコスルファートは腸を強く動かして排便を促す刺激性下剤です。通常量の15倍という量は、腸に対して爆発的な収縮を引き起こします。さらに水分を腸内に保持するモビコールを大量に併用すれば、制御不能な下痢と嘔吐が起きることは薬理学的に予測できました。
なぜ止められなかったか:
医師は「過去にこの量でうまくいった経験がある」という記憶に基づいて処方しました。個人の経験則です。そして驚くべきことに:
- 電子カルテは通常量の15倍という処方に対して警告を出さなかった
- 薬剤部からの疑義照会もなかった
- 患者・家族への説明はなかった(通常量を超えていること、副作用リスク)
もしこの時点で、適応外処方に対する承認制度があったら。もし電子カルテが「用量超過」で強制的にアラートを出すシステムだったら。もし薬剤師が「おかしい」と声を上げていたら。最初の穴は、ここで塞げたはずでした。
Stop Point 2:自宅での症状出現(5月18日 早朝)
指示通りに薬を服用した患者は、その夜から激しい下痢と嘔吐に襲われました。午前4時30分頃から症状が始まり、午前5時、家族はすぐに病院に連絡して救急搬送しました。家族の判断は正しかったのです。
当直医は脱水を疑い、点滴による補液が必要と判断しました。しかし患者は苦痛や不穏から点滴ルートの確保に抵抗しました。医療スタッフは家族の同意を得て、点滴確保を目的とした身体拘束を行いました。
この時点での拘束には、救命のための処置という明確な目的がありました。緊急時の判断としては、一定の正当性があったと言えるでしょう。問題は、この後でした。

Stop Point 3:主治医による重症度の見誤り(5月18日 午前9時)
処方した本人である主治医が診療を引き継ぎました。そしてここで、致命的な判断ミスが連鎖し始めます。
医師は採血をオーダーしたつもりでいました。しかし実際には、採血はオーダーされていませんでした。結果として、電解質異常、腎機能障害、アシドーシスといった、脱水を評価する基本的なデータが一切得られませんでした。
さらに医師は、患者の状態を「落ち着いている」と判断しました。本来なら急速輸液が必要な状態であるにもかかわらず、看護師に対して「水分50mLを30分ごとに経口で」という、到底不十分な指示を出しました。看護記録には「顔色不良」「尿量減少」という、ショックの兆候が記載されていましたが、これらは軽視されました。
診断の陰り(Diagnostic Overshadowing)
なぜ医療者たちは、明らかな異常所見を見落としたのでしょうか。調査報告書は、「診断の陰り」という現象を指摘しています。
これは、障害があることで異常所見を「いつものこと」と正常化してしまうバイアスです。「ダウン症の人は普段からバイタルが不安定だから」「障害のせいで顔色が悪く見えるのかも」「意思疎通が難しい人だから、正確な評価は難しい」。こうした先入観が、無意識のうちに客観的な評価を妨げます。
悪意はありません。しかし結果として、適切な治療の開始が遅れました。もしこの時点で、客観的な早期警告スコアがあったら。もし採血データという数字があったら。主観的な「落ち着いている」という判断に頼らず、適切な治療が開始できたはずです。
Stop Point 4:人手不足を理由にした身体拘束(5月18日 午後5時)

患者はトイレで大量の水様便と嘔吐をし、一時的に意識を消失したと家族から報告がありました。これは明らかな急変兆候です。しかし看護師は、これを緊急事態とは捉えませんでした。
この時、病棟では別の患者の緊急手術が行われており、夜間の人員不足が予測されていました。看護師は考えました。「夜勤は人が足りない。この患者は頻繁にトイレに行く。見守りや介助が難しい」。そして決断しました。オムツを装着する。身体拘束をする。
身体拘束の3要件:
- 切迫性:今すぐ拘束しないと患者の生命が危険
- 非代替性:拘束以外に方法がない
- 一時性:必要最小限の時間
このケースは、どれも満たしていませんでした。この拘束は、患者の安全のためではなく、人手不足という病院側の都合によるものでした。
さらに致命的だったのは、仰臥位(仰向け)での拘束でした。嘔吐を繰り返している患者を仰向けで拘束することは、吐物を誤嚥させ、窒息を引き起こす極めて危険な行為です。もし「嘔吐リスクのある患者への仰臥位拘束は禁忌」という明確なルールがあったら。もし人手不足の解決を、拘束ではなく増員要請や家族への協力依頼で対応していたら。もしせめて側臥位で、吐物が気管に入らない体位を保っていたら。
Stop Point 5:観察の欠如(5月18日 午後6時40分〜7時05分)

付き添っていた父親が、寝具を取りに行くため一時離室しました。この間、拘束された患者は個室に一人きりとなりました。看護師による観察も行われませんでした。
午後7時5分、父親が戻ると、患者は呼吸をしていませんでした。コードブルーが発動され、気管挿管が試みられましたが、口腔内からは胆汁性の吐物が大量に吸引されました。患者は、拘束中に嘔吐し、自力で吐物を排出できずに誤嚋・窒息したと考えられます。午後8時34分、死亡確認。
嘔吐リスクが高く、意識レベルが不安定な患者を、仰臥位で拘束し、一人にすること。これは放置に等しい行為でした。
なぜこれほど多くの穴が並んだのか:根本原因の分析

この事故を「個人の失敗」として片付けることはできません。医療事故調査委員会は、組織的・構造的な問題として分析しています。
原因1:適応外処方の野放し

医師の処方は、エビデンスに基づかない個人の裁量によるものでした。しかし施設には、こうした適応外使用を監視・審査するシステムが存在しませんでした。医師の「さじ加減」が許容される文化があったのです。
これは珍しいことではありません。特に障害者医療や小児医療など、専門性の高い閉鎖的な領域では、外部の一般常識から離れた独自の判断が正当化されやすい土壌があります。「この患者たちは特殊だから」「一般的な教科書通りにはいかないから」という理由で、標準からの逸脱が容認されやすいのです。
原因2:診断の陰り(Diagnostic Overshadowing)
「障害があるから」という理由で、異常所見を軽視する。バイタルが不安定でも「いつものこと」。顔色が悪くても「障害のせい」。意識レベルが下がっても「意思疎通が難しい人だから」。
このバイアスは、無意識に働きます。悪意はありません。むしろ、長年障害者医療に携わってきた経験豊富な医療者ほど、「この人たちの”普通”は違う」という認識を持っているかもしれません。しかし結果として、客観的な評価を妨げ、適切な治療の開始を遅らせます。

原因3:身体拘束の手段化
身体拘束は本来、患者の生命を守るための最後の手段です。しかしこのケースでは、看護業務を回すための手段へと変質していました。
人手不足は、どの医療現場でも直面する現実です。夜勤帯に十分な人員を確保できない。複数の患者が同時にケアを必要とする。一人の患者にずっと付き添うことはできない。これらはすべて事実です。
しかし、それを理由に患者の安全を犠牲にすることは、決して許されません。「人手が足りないから拘束する」という判断は、患者に業務上の都合を押し付けているに過ぎないのです。
再発防止策:システムで事故を止める
この事故から学ぶべきことは明確です。個人の注意力や善意に頼るのではなく、システムで事故を防ぐ仕組みを作ることです。
対策1:処方の安全管理

電子カルテのHard Stop機能
- 添付文書の用量を超える処方には、自動的に強制停止アラートを表示
- 理由入力と上級医承認、薬剤師確認の3ステップがないと処方が確定しない
- 「警告を無視して続行」のボタンは設けない
適応外処方の承認プロセス
- 倫理委員会または薬事委員会での事前審査を必須化
- 患者・家族への説明文書には、通常用量との比較、予想される副作用、緊急時の対応を明記
- 承認された適応外処方は、使用後に効果と副作用を報告し、データベース化する
疑義照会の標準化
- 薬剤師が疑問を持ったら、必ず医師に確認することをルール化
- 「忙しそうだから遠慮する」ではなく、「患者の安全が最優先」という価値観を組織全体で共有
- 疑義照会の件数を業務評価の指標に含める(多いほど良い)
対策2:客観的な急変察知システム

早期警告スコア(EWS: Early Warning Score)の導入
障害の有無に関係なく、以下の客観的データで危険度を数値化します:
| 項目 | 正常範囲 | 異常時の対応 |
|---|---|---|
| 心拍数 | 50-100/分 | ±20以上で1点 |
| 呼吸数 | 12-20/分 | ±5以上で1点 |
| 収縮期血圧 | 100-180mmHg | 範囲外で1点 |
| 意識レベル | JCS 0 | 1以上で2点 |
| 尿量 | 0.5mL/kg/時以上 | 未満で1点 |
合計スコアが3点以上:医師に即時報告、4点以上:緊急対応チーム招集
「いつもと違う」より「数字が語る」
主観的な「落ち着いている」「いつもどおり」ではなく、測定可能なデータで判断する習慣を作ります。特にダウン症などの障害がある患者では、「この人の普通」というバイアスを排除するために、客観指標はより重要になります。
対策3:身体拘束の適正化

禁忌行為の明文化
以下の状況での身体拘束は、施設内で「絶対禁忌」として周知します:
- 嘔吐のリスクがある患者への仰臥位拘束
- 意識レベルが低下している患者の単独放置を前提とした拘束
- 人手不足を主な理由とする拘束
拘束の代替策チェックリスト
拘束を検討する前に、必ず以下を確認します:
- 増員は可能か?
- 夜勤管理者への応援要請
- 他病棟からの一時的な人員配置
- オンコール看護師の招集
- 家族の協力は得られるか?
- 状況を説明し、可能な範囲での付き添いを依頼
- 家族が不在でも、定期的な電話連絡で状況共有
- 環境調整は十分か?
- ナースステーション近くの部屋への移動
- 監視カメラやセンサーマットの活用
- より観察体制の整った病棟(ICU、HCUなど)への転送
やむを得ず拘束する場合の必須条件
拘束を決定した場合は、以下を必ずセットで実施します:
- 目的の明確化:何を防ぐための拘束か(転落、ルート抜去など)
- 時間の設定:〇時間以内、〇時に再評価
- 体位の工夫:側臥位または頭部挙上30度以上(誤嚥予防)
- 観察頻度:15分ごと、30分ごとなど明記
- 記録の徹底:開始時刻、チェック時刻、患者の状態
- 解除基準:どうなったら拘束を解除するか
- 責任者の決定:誰が拘束継続の判断をするか
現場で使えるKYT(危険予知トレーニング)

場面設定
あなたが夜勤をしているとします。意思疎通が難しい患者Aさんが、日中から下痢と嘔吐を繰り返しています。顔色が悪く、「いつもより元気がない」と日勤スタッフから申し送りがありました。
夜勤は看護師2名。もう1人は別の患者の対応で手一杯です。
先輩看護師から提案がありました:「Aさん、トイレに頻繁に行くし、夜中に転倒されたら困るよね。オムツにして、ベッド柵上げて様子見ようか」
あなたはどう答えますか?
ステップ1:この場面の危険を特定する
まず、この提案にはどんなリスクが潜んでいるか考えてみましょう。
想定される危険:
- 誤嚥・窒息(嘔吐中の仰臥位固定)
- 脱水・ショックの進行(「元気がない」は循環不全の兆候かも)
- 観察の手薄さ(「拘束したから安心」という思い込み)
ステップ2:取るべき行動を決める
優先順位1:客観的な評価
まず現状を数字で把握します:
- バイタルサイン測定(血圧、脈拍、呼吸数、体温、SpO₂)
- 意識レベル確認(JCS、GCS)
- 尿量チェック(何時間出ていないか、色・量)
- 最後に水分を摂取した時刻
- 下痢・嘔吐の回数と量
優先順位2:医師への報告(SBARで構造化)
電話で報告する内容を整理します:
- Situation:「Aさんが日中から下痢・嘔吐を繰り返しており、顔色不良です」
- Background:「下剤使用後で、脱水が疑われます」
- Assessment:「ショックと誤嚥のリスクが高いと考えます」
- Recommendation:「診察、採血、補液の方針、観察頻度について指示をいただけますか」
優先順位3:安全な環境整備
医師の指示を待つ間にできることを実施します:
- ナースステーション近くの部屋に移動(可能なら)
- 側臥位または頭部挙上30度以上の体位を保持
- ベッドサイドに吸引器具を準備
- 15分ごとの巡視スケジュールを立てる
優先順位4:リソースの確保
人手不足の根本的解決を図ります:
- 夜勤責任者に状況を報告し、増員を要請
- 家族に連絡し、状況を説明して付き添いの可能性を相談
- 場合によっては、より観察体制の整った病棟(ICU、HCU)への転送を医師に提案
ステップ3:先輩看護師へ答える
「先輩、その提案だと誤嚥のリスクが高いと思います。Aさんは嘔吐を繰り返しているので、仰向けで拘束すると吐物が気管に入る危険があります。まず、バイタルと尿量を測定して医師に報告し、指示をもらいませんか? 人手が足りないなら、夜勤責任者に応援を頼むか、ご家族に付き添いをお願いできないか確認してみます」
この場面の合言葉
「嘔吐×仰臥位拘束=禁忌。足りないのは拘束ではなく観察資源」
あるいは
「人手不足を、患者のリスクで補わない」

最後に:この悲劇を無駄にしないために
36歳の男性は、便秘という決して致死的ではない症状で病院を訪れました。しかし複数の判断ミスが重なり、わずか1日で命を失いました。
この事故は、決して特殊なケースではありません。専門性の高い閉鎖的な環境、個人の経験則に頼る文化、バイアスによる異常所見の見落とし、人手不足を安全より優先する判断。これらは、どの医療現場にも潜んでいるリスクです。
私たちにできること:
- システムで止める(個人の注意力に頼らない)
- 客観的に評価する(バイアスを排除する)
- 患者の安全を最優先する(業務の都合を押し付けない)
- 声を上げる文化を作る(「おかしい」と言える環境)
この悲劇を無駄にしないために、私たち医療従事者一人ひとりが、自分の現場を見直し、変えていく。それが、亡くなった方への最大の供養になると信じています。

参考元
- Royal College of Physicians. National Early Warning Score (NEWS) 2: Standardising the assessment of acute-illness severity in the NHS(2017)
- Institute for Safe Medication Practices (ISMP). Key Definitions and Glossary(Hard limit / hard stop の定義を含む)
- ISMP. Targeted Medication Safety Best Practices for Hospitals(hard stop 概念の実装例を含む)
- Strom BL, et al. Efficacy and unintended consequences of hard-stop alerts in clinical decision support(PMC掲載)
- World Health Organization (WHO). Root Cause Analysis (RCA) Summary(Patient Safety Curriculum Guide handout)
- Institute for Healthcare Improvement (IHI) Open School. Root Cause Analysis (RCA) Summary
- 厚生省健康政策局研究開発振興課長/厚生省医薬安全局審査管理課長. 「適応外使用に係る医療用医薬品の取扱いについて」(平成11年2月1日 研第4号・医薬審第104号)
- 厚生労働省. 「適応外使用に係る医療用医薬品の取り扱いに関する質疑応答集(Q&A)について」(令和5年3月31日 事務連絡)
- 日本看護倫理学会. 身体拘束予防ガイドライン(2015年8月31日発行)
- 厚生労働省保険局医療課. 令和6年度診療報酬改定【全体概要版】(身体的拘束最小化の取組の強化を含む)
- Dell’Armo K, Tassé MJ. Diagnostic Overshadowing of Psychological Disorders in People With Intellectual Disability: Systematic Review(AAIDD/Prepress PDF)
- Shefer G, et al. Diagnostic overshadowing: An evolutionary concept analysis(PMC掲載)

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