認知症患者が転倒して重い障害を負い、病院が損害賠償を命じられた事例。
裁判長は判決で、「転倒する恐れが高いことは予見できた」として、看護師に過失があったと認定しました。
この判決は、看護、介護の現場にとって大きな衝撃となりました。
近年、医療・介護の現場で看護師や介護士が訴訟を起こされるケースも増えています。
しかし、人手不足の業界の中でどこまで責任を負わされるのでしょうか?
私たちは日々、転倒事故を防ぐために様々な対策を講じています。
アセスメント、カンファレンス、見回り、マットの使用など配慮しても避けれない事故もあります。
しかし、裁判所は、転倒する恐れが高いことを予見できたと言いました。
しかも別室患者の排便介助に対応したことを、オムツで排便させればよかったと言ってしまったのです。
私たちは、認知症患者の尊厳や自立性を尊重し、トイレに行きたいという意思を聞き入れるべきだと考えています。
また、別室の排泄を希望された方にオムツで排便させることは、心身に悪影響を及ぼす可能性があります。
私たちは、多くの患者のニーズに応えるべく、時間や人員の限られた中で最善の判断をしています。
しかし、この判決は、私たちの現場の実情や困難さを考慮していない判決でした。
兵庫県立西宮病院で2016年4月に起きた転倒事故の判決
兵庫県立西宮病院で2016年4月、認知症患者の男性(当時87歳)が廊下で転倒して重い障害を負いました。
認知症患者の男性(当時87歳)は看護師に付き添われてトイレに入った後、看護師が別室患者の排便介助に行っている間にトイレを出て歩き始め、転倒しました。
男性は外傷性くも膜下出血と頭蓋骨骨折のけがをし、2年後に心不全で亡くなりました。
男性の家族は、けがによる入院生活で男性は寝たきりとなり、両手足の機能全廃になったと訴えます。
看護師が転倒を防ぐ対応を怠ったとして、兵庫県に約2575万円の損害賠償を求めました。
神戸地裁は2022年11月1日、男性の家族の訴えを一部認めて、兵庫県に約532万円の支払いを命じました。
- 裁判長は判決で、「転倒する恐れが高いことは予見できた」として、看護師に過失があったと認定
- 別室患者の排便介助に対応して目を離したことは安全配慮義務違反と判断した。
- 男性は事故で寝たきりとなり、認知症が進んで両手足の機能全廃に至ったと認めた
- 男性の年齢や、事故以前からの認知症も影響している点などを考慮し、損害金額を算出した
転倒事故の現状と課題
この事例は、介護・医療現場で転倒事故が多発していることを示しています。
転倒事故の現状
転倒事故は、介護・医療現場で最も多く発生する事故です。介護労働安定センターの調査によると、介護事故全体のうち、65.6%は転倒事故となっています。
また、厚生労働省の調査によると、2019年度には、病院で発生した転倒事故は約10万件に上ります。これらの事故の中には、重大な後遺症や死亡に至るものもあります。
転倒事故が多発する背景
高齢者の増加
日本は世界でも有数の高齢化社会であり、高齢者の人口は年々増加しています。
高齢者は、筋力やバランス感覚の低下、視力や聴力の衰え、認知症などの影響で、転倒しやすくなります。
また、高齢者は、転倒した際にけがをしやすく、回復も遅くなるのです。
したがって、高齢者の増加は、転倒事故の増加につながります。
介護・医療現場の人手不足
介護・医療サービスの需要が高まる一方で、提供する側の人材が不足しています。
特に看護師は、長時間労働や低賃金などの労働環境の悪さから、離職率が高くなっています。
また、新型コロナウイルス感染症の流行により、看護師への負担がさらに増大しているのです。
人手不足は、看護師が患者に十分なケアや注意を払えないことを意味します。
したがって、人手不足は、転倒事故のリスクを高めます。
介護・医療現場の報酬制度
日本では、介護・医療サービスの報酬は、国が定めた基準に基づいて算定されます。
しかし、この報酬制度は、転倒事故を防ぐための対策に対して十分な評価をしていません。
- トイレ介助や移動介助などの基本的な看護業務は、「看護管理料」という一律料金で算定されるため、時間や手間に応じた報酬が得られません。
- 転倒予防用具や離床センサーなどの設備投資は、「設備管理料」という一律料金で算定されるため、コストパフォーマンスが悪くなります。
- 転倒予防教育や研修などの人材育成は、報酬に反映されません。
このように、報酬制度は、転倒事故を防ぐための対策に対して十分なインセンティブを与えていません。
むしろ、転倒事故が発生した場合に、損害賠償や保険金の支払いが発生することで、経営的なリスクを抱えることになります。
したがって、報酬制度は、転倒事故の防止よりも発生後の対応に重点を置くことを強いられます
以上のように、転倒事故は、介護・医療現場で深刻な問題となっています。
転倒事故を防ぐための対策
身体と心の健康管理
転倒事故を防ぐためには、職員自身の身体と心の健康管理が重要です。
適切な休息や栄養、運動をとり、疲労やストレスを溜めないようにしましょう。
また、転倒・腰痛予防体操などを行って、筋力やバランス感覚を高めましょう。
さらに、適切な靴を選んで、滑りやすい床や段差などに注意します。
個別に対応する
患者・利用者の転倒リスクを評価し、個別に対応することが必要です。
転倒リスク評価ツールなどを用いて、転倒歴や身体機能、服薬状況などをチェックしましょう。
そして、転倒リスクの高い人には、トイレや入浴時などに付き添ったり、歩行器や手すりなどの補助具を提供したりします。
また、患者・利用者の意識や行動にも配慮し、転倒予防の大切さを伝えたり、適度な運動を促したりしましょう。
施設全体で転倒予防の取組を推進する
病院や施設全体で転倒予防の取組を推進することが大切です。
病院長や施設長は、転倒予防の方針や目標を明確にし、職員に周知徹底しましょう。
また、職員の教育や研修を充実させ、転倒予防の知識や技術を向上させましょう。
さらに、職員間の連携や情報共有を強化し、転倒事故の発生状況や原因分析などを定期的に行います。
そして、必要に応じて環境整備や設備改善なども行いましょう。
看護師ができること
- 患者の転倒リスクを評価する。
患者の年齢や病状、認知症の有無や程度、薬物の影響などを考慮して、転倒リスクを定期的に評価する
転倒リスクの高い患者には、適切な介助や監視をする - 患者の尊厳や自立性を尊重する。
患者がトイレに行きたいという意思を示した場合は、できるだけ聞き入れる
オムツで排便させることは、患者の心身に悪影響を及ぼす可能性があする
また、患者にナースコールや歩行器などの使用方法を教えておく - 環境整備を行う。
廊下やトイレなどの床面は滑りにくくする
また、照明や手すりなどの設備は十分に確保する
不要な物は片付けておく - 情報共有と連携を行う。
患者の転倒リスクや介助方法などの情報は、他の看護師や医師などと共有する
家族や介護士などとも連携して、患者の安全を守る
病院ができること
- 人員配置や勤務体制を見直す。
看護師が十分なケアや注意を払えるように、人員配置や勤務体制を見直す
特に夜間や休日などは、人手不足に注意する - 設備投資や教育研修を行う。
転倒予防用具や離床センサーなどの設備投資は、コストパフォーマンスが悪いと考えずに、積極的に行う
看護師に対して教育研修を定期的に行う
転倒事故の発生や対応の事例を共有したり、最新のガイドラインや研究成果を学ぶ - 転倒事故の報告や分析を行う。
転倒事故の発生状況や原因、影響などを詳細に報告し、分析しする
転倒事故の傾向や問題点を把握し、改善策を立案する - 転倒予防の支援や評価を行う。
病院に対して、転倒予防のための設備投資や教育研修などの支援を行う
また、転倒予防の効果や成果を評価し、優良な事例を表彰したり、普及する
転倒事故は、患者だけでなく、看護師や病院にも大きな負担や損失をもたらします。
転倒事故を減らすことは、医療の質や安全性を高めることにもつながります。
関係者が一丸となって、転倒予防に取り組みましょう。
みんなの意見
看護師の立場からは、別室の患者の排便介助も必要だったし、感染症のリスクもあったので、やむを得ない判断だったという意見があります。
また、認知症患者の転倒は完全に防ぐことは難しいという現実も指摘されています。
介護福祉の専門家からは、裁判長の「オムツで排便させれば問題がなかった」という発言に対して、人間の尊厳や自立を無視した発想だと批判する意見があります。
また、介護施設や病院の人員配置や報酬が不十分で、事故を防ぐための自助努力に限界があるという現状も訴えられています。
法律の専門家からは、裁判長の「転倒する恐れが高いことは予見できた」という認定に対して、具体的な根拠や基準が示されていないと疑問視する意見があります。
また、転倒事故に関する過去の判例と比較して、損害賠償額や過失相殺率について分析する意見もあります。
参考元
まとめ
この記事では、兵庫県立西宮病院で起きた認知症患者の転倒事故と神戸地裁の判決について紹介しました。
看護師の立場に立っても、患者の立場に立っても、一概に責任があるとは言えないと思います。
事故の原因や結果は複雑で、人間の行動や判断は常に完璧ではありません。
裁判所が判断したように、看護師にも過失があったと認められるかもしれませんが、それだけで全ての責任を負わせるのは不公平だと感じます。
また、患者にも自己責任や過失があったと考えられるかもしれませんが、それだけで全ての被害を受け入れるのは不幸だと思います。
私は、事故を防ぐためには、看護師や患者だけでなく、病院や県、国などの関係者が協力して、人員配置や報酬、設備などの改善を図る必要があると考えます。
それができれば、事故の発生率や重症度を減らすことができます。
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